ウィキペディア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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多言語百科事典ウィキペディア

ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、公開されているオープンコンテント方式の多言語百科事典ウィキメディア開する最初の多言語プロジェクトである。

目次

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概要

Wikipedia(ウィキペディア)という名前はウィキペディアが使用しているソフトウェアである「ウィキウィキウェブ」(MediaWiki)と、百科事典を意味する英語「encyclopedia(エンサイクロペディア)」から合成されたものである。

ウィキペディアでは参加者の資格は一切問わず、アカウントを取得しなくても、誰でも新しく記事を立ち上げたり、既存の記事の編集ができる。

この参加しやすさや、多くの一般人が作ることで、既存の百科事典にはない項目や、マニアによる詳細な記事も見られ、何かについて調べたいときに、 ウィキペディアは大変有用な情報源として活用されるようになり、急成長をげ、近年はニュースの参考資料として、ウィキペディアが紹介されることも多く、 検索結果においても、上位に表示されることが多い。

ただ、治や宗教など、意見の対立が起きやすいテーマにおいては編集合戦が起こることもあったり、情報の信性が保証されているわけではいので、個人や団体に対するを目的としたゴシップや、根も葉もない嘘の投稿が見過ごされ、しばらく訂正されないこともあり、2005年度末にはジョン・シーゲンソーラーの経歴論争などの問題がいくつか起こったこともある。

日本語版については、ウィキペディア日本語版の項目に詳しい。

活動の規模

2001年1月15日に英語版が発足、その後多くの言語開し、2004年9月4日現在, 120言語前後で筆が行われている。ただしこのうち続的な活動が行われ100項目以上に達しているものは、50言語ほどである。ウィキペディアは多言 語開に力を入れており、つねに新しい言語プロジェクトに開かれてきた。現在は、まだ存在しない言語版を新規に立ち上げるには数名の参加者がいれば可能と ある。

項目は、2006年7月現在、英語版で130万件近く、英語を除く他の諸言語の版で約100万件以上の記事が筆されている。また Alexa.com の全インターネットを対象とするアクセスランキングでは、20位以内に入っている。

活動規模がもっとも大きいのは、英語版である。登録ユーザー数ベースで筆者を見ると、英語版だけで2万人を超える。Alexa.com の統計によれば、wikipedia.org の閲覧数のうち 60% 前後が英語版へのアクセスである。日本語版、スペイン語版ドイツ語版へ のアクセスがこれに次ぐ。とはいえ英語版と他の言語版の規模の差は、プロジェクトの進とともに進的にまりつつある。英語版の項目数と、2位以下の言 語版の項目数合計をすると、かつては10位までを合計してようやく英語版にんだものが、2004年秋には2位から6位までの5プロジェクト合計と等 しくなっている。現在英語を含む8つの言語が10万項目以上を保有している。

筆者については、プロジェクト発足以来2005年3月現在、3万人をえる登録ユーザーがおり、うち数千人が現在も活発に活動していると推測され る。登録のみで投稿を行わないユーザーがいる一方で、ユーザー登録をすることなく筆に参加することができる仕組みになっているため、正確な筆者数の 握は難しい。データベースファイルを 分析したエーリック・ザクテ (Erik Zachte) の統計によれば、5回以上編集・投稿に携わったユーザーの総数はプロジェクト発足以来2004年12月30日までで3万2000人強とされるが、この統計 でも未登録ユーザーの活動量が未集計の他、古いバージョンのソフトウェアを用いて活動しているウィキペディアについては分析の対象外としている。

参加者が何らかの編集、投稿を行い、データベースへ保存した回数を参考にすると、同じくザクテのデータから、プロジェクト発足以来、185万回程度 の編集、投稿が行われてきたことになる(これは未登録ユーザーによるものも含まれるが、ソフトウェアのバージョンの差から来るデータの欠落がある)。

主な特

他の類似のプロジェクトとした場合、ウィキペディアには次のような特がある。

  • 百科事典の作成に目標を限定していること。この点で、例えば議論や情報交換を行う場である掲示板USENET などとなっている。
  • ウィキを 利用したプロジェクトであること。他の多くのウィキがそうであるように、多くの利用者が簡単に筆、編集できる仕組みになっている。つまり、使いやすいサ イトなのである。ウィキペディアでは参加者の資格制限などを行っていないため、年、職業、国籍などの点で多様な筆者が参加する向にある。この点で、 百科事典の開発プロジェクトとしては独特である。
  • オープンコンテント方式を用。参加者によって投稿された内容をコピーレフト用のライセンスの一種であるGFDLの元に公開しており、複製・配・改変などが容易にできるとわれている。しかし、GFDLが課す複な制約や、GFDL自体の他性のため、密にライセンスにった利用は難しい。

プロジェクトの運営形

ウィキペディアは的大規模なプロジェクトであり、運営方針や編集・筆方針などについて多くの問題を抱えてもいる。編集・筆のレベルでは、非 登録ユーザーを含む多くのユーザーに開かれているが、同時にルールが一切存在しないわけではなく、また、そうしたルールを定めるための意思決定が行われな いわけでもない。

  • プロジェクトはその初期ジミー・ウェールズおよびインターネット会社 Bomis によって資金を提供されていた。Bomis は彼が以前最高経営責任者めていた会社で ある。後に団が設立されてからは、寄付金や外部の団体から無償提供されたハードウェアの占める割合が増えた。運営団体によるハードウェアの購入は 2004年以降、全寄付金に存している。ウェールズが2004年からCEOをめる企業 Wikia からも帯の経費などの資金援助がなされている。
  • 記事が中立的な観点から書かれるべきだとする方針も、ウェールズによって全ウィキペディアの共通方針だと定められた。また、ウェールズは、後述す るプロジェクト全体の問題についての議論に参加し、質問や意見を述べ、あるいは決に加わる。彼の発言は必ずしも議論を終結させるものではないが、その意 見は他の参加者の意見よりも重される向にある。
  • ウェールズはまた英語版の運営については的具体的な問題に関しても意見を述べる向がある。英語版の初期には、登録済ユーザーのアカウントを 停止する場合には、彼の了を得るようにとの要請があった(2004年以降、この決定は選任されたユーザ代表に任されている)。他言語のウィキペディアで 同様の問題が発生した場合にどうなるべきかについては特に明確にされていない。一方ウェールズが英語以外の言語は話さないこと、利用者の自治を重するこ ともあり、英語以外の言語版の運営にウェールズが中心的な関与を行うことはほとんどない。ただしウェールズが利用者の紛争の調停に当たったり、あるいは利 用者のアクセス権限についての決定を行う場合もある。これは関係者がみな英語を解する場合、かつ自治の組が問題の解決においてうまく機能していない場合 に行なわれることが多い。
  • ソフトウェア開発のモデルである「独裁者」をウィキペディアに当てはめることがしばしば行われる。ウェールズはこれを否定しないが、一方でウィキペディアがつねに編集可能であることにより、自身の関与が常に及ぶわけではないことをもって、自分は密な意味でこうしたモデルにはあてはまらないとも発言している。
  • 開発者権限やサーバへのアクセス権限などは一部の人物に限られている。ソフトウェアの改変や非常時の対処などは彼らに任されている。ただし、このプロセスも基本的には自由参加型であるため、一定期間の活動を経て信用をいた者にはそうした権限が与えられることになる。また、ソフトウェアの仕様変更については開発者とそれ以外の利用者を含めた公開・自由参加型の議論が行われている。
  • プロジェクト全体の問題は、公開のメーリングリストで 扱われる。基本的には全て英語で、ごくにフランス語などが混ざる。議題には、各言語のウィキペディアの記事数の集計方法、新しい言語のウィキペディアの 発足、デザインや機能の変更、運営上の方針やユーザー間の争いの調整、法問題などが含まれる。この議論は複数のリストで行われるが、誰でも参加、発言で きるようになっている。またアーカイヴはウェブ上で公開されている。
  • ウィキペディア全体の話題を扱うメーリングリストのほか、各言語プロジェクト固有の話題を扱うメーリングリストが存在する場合もある。
  • またメタ・ウィキメディアという、ウィキメディア(後 述)のプロジェクト全体を扱うウェブサイトがある。メーリングリスト以外に、ここでも全言語版共通の問題、あるいは他プロジェクトと共通の話題が取り上げ られる。運営団体であるウィキメディア団の将来計画などは、このメタ・ウィキメディアで公開され、質問や議論が行なわれる。話題はまた団の運営に関す る別のメーリングリストでも話しあわれる場合がある。
  • 各言語版毎に管理者がおり、一定の権限が与えられている。管理者は通常、その言語のウィキペディアの初期段階での立候補やそのウィキペディアの参 加者内の議論などによって決まる。権限にはページの削除、ページの保護(管理者以外には編集できなくなる)、「らし」とみなされたユーザーの書き込み 止などがある。ただし、ウィキペディアの各言語版の多くでは、削除などのプロセスは参加者や関係者の話し合いによって決まり、管理者は独自の裁量に基づい て行動するという形をとらないことが多い。
  • 筆方針については、項目名の付け方、フォーマットや 表記上の諸問題に関して多くの方針が存在している。これらの大半は利用者間の話し合いで決定、改変されるもので、各言語によってなる。また、これらの内 にはガイドラインという位置付けになっており、必ずしも万人が常にうべきルールであるとはされていないものがある。これは部分的には、これらの方針を知 らない参加者からの投稿も積極的に受け付けるためであり、ガイドラインに通じた常連投稿者などが新規参加者の投稿を編集することが的容易であるためで もある。
  • 記事の内容について関係者間で論争が起きた場合には基本的にノートでの話し合いが行われる。最終的にはウィキペディアの最も重要なガイドラインの一つ「中立的な観点」にい“両論記”によって決着することが求められるが、個々に持論があるのは当然であり、これによってその問題が解決するわけではない。
  • 一般に、常連投稿者の一部は、各種の方針の決定や変更の議論にも活発に参加しており、このようなユーザーが実質的なプロジェクトの取りをしているとの見方もある。これは各言語版を単位にしても、またプロジェクト全体としても見られる向である。

主要人物

ジミー・ウェールズ ウィキペディアの創始者。愛称はジンボ。1966年生まれで現在アメリカのフロリダ州在住。妻と娘が一人おり、お父さんとしての顔も持つ。
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ジミー・ウェールズ ウィキペディアの創始者。愛はジンボ。1966年生まれで現在アメリカのフロリダ州在住。と娘が一人おり、お父さんとしての顔も持つ。

ウィキペディアは多くの場面で参加者一般を強調し、特定のリーダー、所有者、最終決定権の保持者、などを強調しない向にあり、参加者の共同作業、共同自治などをうことも多い。

な役割をった人物として例外的にしばしば言及される者に、ラリー・サンガーと ジミー・ウェールズがいる。両者はウィキペディアの創設者であり、ラリー・サンガーはプロジェクトの発足から1年と数ヶ月の間、金の支いを受けた参加 者だった。このせいもあって、彼は折に触れてほかのメンバーから仲裁役をまれることもあったとされる。また彼は、ウィキペディアに先立って発足した読 制度付のオンライン百科事典作成プロジェクト「Nupedia(ヌーペディア)」の編集主幹もめた。

ジミー・ウェールズはプロジェクトの出資者であり、発足当初から、サーバやインターネット・トラフィックの料金を支ってきた。ウィキペディアは彼を「寛大な独裁者」として戴くコミュニティ自 治の集団である、と形容されることがある。項目の中立性の方針など、ごく一部の件については、議論の地なく重要かつ不変のプロジェクトの方針であると ウェールズは宣言している。また、登録ユーザーのアクセス止処分の決定についても彼が最終的な判断を下すとしている。これは英語版で特に著であり、 ユーザーのみの決定によるアクセス止は最長で1年とされている。

ジミー・ウェールズはインターネット関連会社 Bomis の前最高経営責任者 (CEO) である。プロジェクトに協力している同社の関係者の中には、他にもティム・シェル(同社の共同創立者、現最高経営責任者、ウィキメディア団理事)や、プログラマジェイソン・リッチー(後に退社、現Wikia)、トアン・ヴォーらがいる。

歴史

発足の経緯

ウィキペディアの着想は、ヌーペディアの主幹編集者ラリー・サンガー (Larry Sanger) とコンピュータ・プログラマ、ベン・コヴィッツ (Ben Kovitz) が2001年1月2日カリフォルニア州サンディエゴで行った会話に端を発するとされる。

ウィキウィキウェブのインターフェースを積極的に使っていたコヴィッツは当時Ward's Wikiの常連であり、夕食の席でその基本的なコンセプトをサンガーに説明したとされる。サンガーはそれを聞き、ウィキが「よりオープンでよりカジュアルな百科事典を作る」というプロジェクトに相応しいものと考えたという。それに先立つ数ヶ月の間、サンガーと彼の上司、有限会社 Bomis の CEO ジミー・ウェールズ (Jimmy Wales) はヌーペディアをよりオープンな形で補完するプロジェクトについて議を重ねていた。

サンガーはウィキをヌーペディアに利用しようと考え、ウェールズを説得し、1月10日にはヌーペディアにウィキが登場することになった。

しかし、ウィキのウェブページをヌーペディアに利用するという案に対しては、ヌーペディアの筆者と読者から強な反対意見があったため、「ウィキペディア」と名付けた新たなプロジェクトを立ち上げ、独自のアドレスである wikipedia.com にて1月15日から開始することになった。

ネットワークと、サンディエゴに設置したサーバはウェールズが資金を提供した。また、2002年1月まで、サンガーは Nupedia の主幹編集員ウィキペディアの非公式管理人として Bomis にわれていた。資金のから、2002年3月にサンガーへの給与打ち切りが決まり、サンガーはウィキペディアを含むプロジェクトでの活動を停止した。

大とその

プロジェクトは、参加人員、記事数、編集・投稿総数などいずれの度においても増加する向にあり、増加のペースも高まる向にある。この主な要として、メディアや多くの人が利用するウェブサイトでの紹介、サーチエンジンへの掲載などが挙げられる。特に著なものとして、次のものが挙げられる。

稿の内、特に大規模なものに、アメリカ合国の各市町村を扱ったものがある。これはディレック・ラムゼイ ("Ram-Man") が2002年10月、「ボット」(あるいは「プログラム」)を働させて調のデータから、自動的に記事を生成したもの。同様のボットは他の主題についてもしばしば使用された。その総数はおよそ3万本とされる。

多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃であると思われる。当時の発表によれば12前後の非英語版サイトが発足した。ただし、それらの新設ウィキペディアで必ずしもすぐに筆が盛んになったわけではない。

2002年12月、姉妹プロジェクトである ウィクショナリー (Wiktionary) が創設された。これは、多言語の辞書シソーラスを制作することを目標にしているプロジェクトである。ウィキペディアと同じサーバで、同じソフトウェアを使って活動している。2003年に、本や教科書の作成プロジェクトであるウィキブックス (Wikibooks) 、言集であるウィキクォート (Wikiquote) なども発足した。

これらのプロジェクトは、しばしばウィキメディアプロジェクトと総される。こうした姉妹プロジェクトもまた増加向にあり、2004年には新規の3つのプロジェクトが創始された。

ソフトウェア及びハードウェア

ハードウェアは、発足当初は、Bomis のサーバを間借りする形であった。ソフトウェアは、クリフォード・アダムズによる UseModWiki を用いていた。

2002年1月、英語版と、プロジェクト全体に関わる問題を議論するためのサイトであるメタ・ウィキペディアが実験的に PHPMySQL によるソフトウェアに移行した。これは参加者の一人 Magnus Manske によって制作されたもの。同年7月にウィキペディア用のサーバ(コードネーム"pliny") が入された。これは英語版と、やや遅れてメタウィキメディアのために用いられた。ソフトウェアもリー・ダニエル・クロッカーによる全面的な書き換えを経 て新しいバージョンが運用され始めた(同じく PHP と MySQL の組み合わせによるもの)。活動が盛んな他言語版も、々に用サーバへ移動していくことになった。2003年1月には、TeXの数学記号入された。コードの作成者は参加者の一人の Taw。

2003年5月半ば頃よりもう一台用のサーバが入された。コードネームは"larousse"。これは英語版のウェブサーバとして用いられた (データベース部分は、来通り用サーバによって当される)。Bomis のサーバに間借りしているウィキペディアも、活動が活発になるにつれて々に pliny へ移行した。ソフトウェアの処理が効率化され、サーバへの負が軽くなった時点で、larousseは全言語版のウェブサーバとして動する計画もある。

2005年2月現在で、39台のサーバが動している。現在のサーバ構成についてはm:ウィキメディアのサーバ(メタ・ウィキメディア)に詳述されている。

、論争

2002年2月、それまで Edgar Enyedy を中心に非常に活発に動いていたスペイン語版ウィキペディアが突然活動の中止と新たなプロジェクトエンサイクロペディア・リブレの立ち上げを宣言した(Enciclopedia Libreはセビリア大学にあるenciclopedia.us.es)。 宣言は、離脱の理由として商業広告の危とコントロールの欠を挙げた。10月にはダニエル・メイヤー ("maveric149") 他の参加者が、ウィキペディア復帰へ向けて交、説得を行ったが、復帰提案が完成する前に、エンサイクロペディア・リブレは投票で復帰を否決した。

エンサイクロペディア・リブレは将来の統合の可能性は残し、交流を持することを表明し、現在でも統合の可能性が議論されることがあるが、独立した ままにとどまっている。この事件は英語版以外のウィキペディアの役割について、大きな議論の火付け役となった。また、これは非英語版のウィキペディア・コ ミュニティの要求によるいくつかの変更にもつながった。

また、プロジェクトはたびたび、記事を削除したり、不適切な内容を投稿したりするらしに見舞われた。通常、そういったらしによるらし行為は参 加者達により速やかに修復されるため、一般には大きな問題とされることは少ない。だが、英語版ではメインページのいたずら書きが何回も発生したため、メイ ンページは管理者のみが更新できるよう保護置がとられた。

2002年3月、「24」というユーザー(この名前は彼のIPアドレスに ちなむ)が、特別に左的かつ物議をす編集をし始めた。白熱した議論は、何人かに「」とまで言わしめるようなものになり、多くの人々がと個人 を受けた。メーリングリストでの長期間にわたる話し合いの結果、2002年4月、ジンボ・ウェールズは24をサイトから除した。ドイツの歴史に関して 右的で物議をす編集を再三に渡って行い、ウィキペディアの歴史関連の筆者達の多くに議を受けた「Helga」は、再びメーリングリストにおいて話 し合いが行われた結果、2002年9月に除された。

2003年11月、ロシア語版ウィキペディアで ライセンス形についての論争がもととなり、一部の利用者がウィキペディアを出て別の百科事典プロジェクトを立ち上げるというもうひとつの分が起こっ た。この分は、ウィキペディアのメーリングリストなどに不満の表明がなされなかったこと、ロシア語版の主な利用者と他のプロジェクトの参加者との人的交 流が薄いことや、ロシア語を解するユーザが少ないことなどから、2004年10月まで他の言語版の利用者には知られていなかった。分だけでなくこのよう に事握が遅れたことを重く見て、ウィキペディアプロジェクトの多言語的開と各言語話者の間の連携を強化すべきだとする指摘が一部では改めてなされ ている。

2005年12月には英語版ウィキペディアで、とあるジャーナリストケネディ暗殺事件の首者とされる嘘の投稿がされ、この記事が1週間掲載され問題となった(ジョン・シーゲンソーラー・ウィキペディア経歴論争)。 この嘘の投稿を行った者は談のつもりで行ったと話しているが、このことが新聞などに掲載され問題となり、結局この投稿により投稿者が仕事を辞めることと なった。これにより、英語版ウィキペディアは登録ユーザー以外が新規記事投稿を行うことを制限し、記事の筆などを遅延反映させこういった嘘の投稿に対 するためのシステムを構することになった。

非営利化と非営利法人化

2002年8月、ジミー・ウェールズがウィキペディアでは今後一切商業広告を行わないという方針を発表し、そのすぐ後にウィキペディアのURLwikipedia.com から wikipedia.org に変更された。

2003年6月20日、プロジェクトに法人格を与えるべく、ウィキメディア (Wikimedia Foundation, Inc.) が設立された旨がアナウンスされた。[1] ウィキメディア団はフロリダ州法に基き、フロリダ州タンパを本地とする非営利法人である。

ウィキペディアの今後

アメリカ合国ではウィキペディアのサーバの負が深刻な問題となっている。ウィキプロジェクトによって生み出されているデータファイルは加速度的 に増加しており、近い将来プロジェクトはを来たすことを心配するものもいる。現実的な対処としては利用者から課金することが挙げられた。団発足のの ち、団の会員として希望者から年会費を収し、これを運営資金にてるという構想が発表されたが、現状での入の見通しは不明である。

運営資金を公共教育を対象とする各種助成にることも検されている。情報体としてのウィキペディアに関する関心は高く、ウェールズは2004年夏には国連か らの待を受けて関係者に対してウィキペディアについての演を行なっている。こうした状況の中で、団が運営資金としての助成を申請し、それを主要な 源のひとつとすることも検されている。また、2005年現在で、ウィキペディアを含む姉妹プロジェクトに関して、2つの公団体から合計5万ドル規模の 助成が申し入れが行なわれており、これらは一部は直接の運営経費にてられている。

また米の他の非営利団体と同様、寄付による収も大きな源である。これは随時受け付けている寄付のほかに、四半期ごとに予算に対して不足する への支援を求めるという形で行なわれている。年単位ではないのは、プロジェクトの成長規模が大きく、年単位での経費予測が事実上不可能であることにも起 する。2005年4月にはアメリカ合国で内国歳入により501(c)(3) 資格が与えられ、米国での免資格を有する者に対しては設立にさかのぼってすべての寄付に免が認められた。

2005年6月現在、アメリカ合国の母団体であるウィキメディア団のほか、ドイツ、フランス、イタリアの3国に地方支部があり、うちドイツ支部 へのドイツ国内からの寄付は免となっている。恒常的な寄付を前提に、寄付への免置を目的とした支援団体として、地方支部の設立が各地で検されてい る。こうした国には、オランダ、ルーマニア、ポーランドなどがある。

より詳しい歴史は、w:Wikipedia Announcementsのページやメーリングリストのアーカイブm:History of Wikipediaを参照せよ。

先行事例

百科事典をより使いやすくするために、印刷物の代わりに機械的な仕掛けを使おうという考え方のはじまりは、H・G・ウェルズの短編小説『世界の頭脳』(1937年)やヴァネヴァー・ブッシュのマイクロフィルムを使った未来のシステムMemex(論文"As We May Think"(1945年))に見ることができる。

インターネットを使ってフリーな百科事典を作ろうという試みは1990年代の初めには登場している。そのひとつとして、古い印刷物の百科事典をデジタル化しようというプロジェクトが挙げられる。1995年の1月、プロジェクト・グーテンベルク1911年に出版されたブリタニカ百科事典の 11 版を ASCII テキストにするという活動を開始した。しかし、第一巻をデジタル化したあと、方針の不一致から活動は中断した。2002年に、28 巻全ての ASCII テキストは他から 1911encyclopedia で公開された。同様の試みとして、イーストン書辞典(1897年)Christian Classics Ethereal Library においてデジタル化されている。

他の、よりウィキペディアに近い活動として、自発的な参加によって新しくフリーな情報源を作り上げようというものがある。1991年usenetalt.fan.douglas-adams ニュースグループの参加者達がダグラス・アダムスの著作の中に登場する空の百科事典銀河ヒッチハイク・ガイドを実際に作ろうと活動を開始し、これはいわゆる Project Galactic Guide へと発した。このプロジェクトは当初は現実の物事だけを記載するようにしていたが、後に空想上の事柄なども収録するようになった。Project Galactic Guide は 1,700 以上の記事を保有しているが、2000年以降記事の追加は停止状にある。

1993年には、インターペディアと呼ばれる計画が議論された。これはインターネット上に、誰もが参加できる百科事典を作ろうとするものであった。これは、ウェブの発的な成長と、精度の高いサーチエンジンの登場のため、実行に移されないままに終わった。

姉妹プロジェクト

2005年7月現在、ウィキペディアは次の姉妹プロジェクトを持っている。日本語コンテンツを持つプロジェクトには*を冠した(運営文書を除く)。

類似のプロジェクト

ウィキペディアとされるものには、以下のような共同作業プロジェクトがある。

  • Nupedia は、門家の読制度に基づく百科事典プロジェクト。ウィキペディアはここから生まれた。2003年3月現在、プロジェクトは中断しており、成果がウィキペディアに取り込まれている最中である。
  • Everything2 はより広い分野をカバーしているハイパーテクスト型のエッセイ集で、百科事典の構を目指すものではない。また、Everithing2 のコンテンツはコピーレフトライセンスを使用していない。
  • H2G2, Douglas Adams's の The Hitchhiker's Guide to the Galaxy からアイデアを得た、皮肉的な内容の記事で構成された百科事典。

データベースのダウンロード

ウィキペディアで公開されている記事を何かの目的でウィキペディア以外の場所で利用したい場合にはどのような目的であれ、GFDL の件に則っているならいつでも全ての記事を収録した最新版をデータベースからダウンロードすることができる。より詳細な説明はWikipedia:データベースダウンロードのページにある。

パロディサイト

  • アンサイクロペディア - 2005年1月に英語版が、「wiki形式によるSPOV(風的な観点)を提供」するという非公式な目的のために開始された。ウィキペディアのパロディサイトである。
  • Chakuwiki - 主に地情報を扱う。ウィキペディアのパロディサイトである。英語版も有る。

関連項目

参考資料


ウィキメディアのプロジェクト
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